人びとの苦しみには原因があり、人びとのさとりには道があるように、
すべてのものは、みな縁(条件)によって生まれ、縁によって滅びる。
雨の降るのも、風の吹くのも、花が咲くのも、葉の散るのも、
すべて縁によって生じ、縁によって滅びるのである。
この身は父母を縁として生まれ、食物によって維持され、
また、この心も経験と知識とによって育ったものである。
だから、この身も、この心も、縁によって成り立ち、縁によって変わるといわなければならない。
網の目が、互いにたながりあって網を作っているように、すべてのものは、つながりあってできている。
一つの網の目が、それだけで網の目であると考えるならば、大きな誤りである。
網の目は、ほかの網の目とかかわりあって、一つの網の目といわれる。
網の目は、それぞれ、ほかの網が成り立つために、役立っている。
すべてのものが、縁によって生じ、縁によって滅びるのは永遠不変の道理である。
だから、うつり変わり、常にとどまらないということは、天地の間に動くことのないまことの道理であり、
これだけは永久に変わらない。
仏教聖典より抜粋
仏教というと、疎遠な感じがありますが、人生経験を重ねていくうちになぜか惹かれるものがあります。
若い頃は外の世界ばかりに目をうばわれ、華やかなものにあこがれ、求めていました。
人生でいろんな体験をしていくことで、本当に大切なものが何かがぼんやりですが見えてきた気がします。
若いうちは体力も旺盛でとてもエネルギッシュですが、
年齢を重ねるうちに、体力は衰えていきます。
ただ、他人を理解する心は深くなるとおもうのです。
他人を理解しようと思うことは、世の中を理解しようとするのと同じであり、それが道理なのかなと思います。
自然にも植物にも、それぞれ役割があるように、私たち自身にも役割があるはずです。
自分の存在は必ず誰かの役に立ち存在するのではないのでしょうか。
孔子の言葉では、
「四十にして惑わず、五十にして天命と知る」
とありますが、まだまだ惑ってばかりの私ですが、そういう境地までいきたいものです。